アニマルコミュニケーションはどこにでもある
オリジナルの英語のページはこちら
このことについてしばらく書こうと思っていたが、今はこのメッセージを送るのにいい時期だと思った。長い話、もし心を開いていれば動物はいつでもあなたに話しかけているんだ。
みんな違ったコミュニケーションのし方がある
アニマルコミュニケーションを始めてから、私はいつも素晴らしいアニマルコミュニケーターの人が、「生まれた時から動物と話していた」と言うと、私はそうではないので、どうしたらそんな人達と同じレベルの素晴らしいコミュニケーションができるようになるだろう?とがっかりする。
あるアニマルコミュニケーターの本を読んだとき、励まされた。何故なら彼女は生まれた時から動物と話していないと言ったから。しかし、彼女が「あるきっかけからクリアにコミュニケーションできるようになった」と言った時またがっかりした。彼女の本はその後、コミュニケーションはとっても簡単な物のように続いた。もしオン・オフのスイッチのような物だったら私のスイッチはオンではないと思った。
数年前、地元のアニマルコミュニケーターのクラスを取ったときもかなりがっかりした。何故ならクラスにいるみんながペラペラ会話をしていた(と思った)、私は全然そのレベルに達していないと思った。その時の経験を今思い出すと、私はかなり会話ができていた。牧場にいる動物、クラスメイトの犬や猫と会話をして、普通だったら知らないような内容を知っていた。しかし、正しく受け取ったコミュニケーションを祝うのではなくって、間違った情報の事に対してがっかりした。
色々なアニマルコミュニケーションのクラスで、色々違ったコミュニケーションスタイルがあることを学んだ。声が聞こえる人たち、物が見える人たち、感覚を感じる人たち、ただ真実がわかる人達、等々。頭ではいろんな人たちは色んなコミュニケーションの強点と弱点があることはわかっていたけれど、ずいぶん後になるまで心ではわかっていなかった。普通の人生と同じ。一部の人はそれ以外の人たちよりもうまくできることがあるけど、その人たちだってそれ以外の人たちほどできないこともある。私たちはみんな独特なんだ。これに気が付いた後、私は生まれてからずっと認知力(クレアコグニサイズ)を使っていたんだという結論に達した。認知力とはどういうものかわからない人たち、それは理由なしに真実を知る力だと思うといいと思う。
ずっと会話をしていた
ある日「ああ!」と思ったのが、小学校2年生の夏休みに描いた絵本はアニマルコミュニケーションだったのだと気が付いた時。これはトカゲだったから「動物」ではないが…。
私はトカゲの絵本を描いた。名前は「とかげの話」。子供の時トカゲを捕まえて、遊んでから放したりしてよく遊んだ。家の周りにいっぱいいたし、興味深かった。ある年、3つのトカゲの卵を見つけた。これを昆虫ケースに入れて観察することにした。卵からかえる所を見てみたかったから。この話はそれが背景にある。
物語はかなりつまらない。トカゲの卵が3つあった。そこから3匹のトカゲが生まれて、そのトカゲたちはお母さんを探しに行くことに決めた。彼らは鳥、少女(私)、その他の危険に遭遇した。最終的に、もう少し大きめのトカゲに遭遇して、それをお母さんと思ったがそうではなかったので、そのトカゲと友達になって、お母さんを見つける旅をやめることにして、その後幸せに過ごしました、っていうストーリー。姉は終わり方がつまらないし変だからから変えなさいって言ったけど、私は絶対変えないと言った。そして今でもこの終わり方に満足している。そのせいか今でもこの絵本を持っている。
また小学校3年生か4年生ぐらいにも「おさるの車掌さん」と言う本の終わりを書くようにと言う宿題があった。私がその終わりを書いていた時、誰かに乗り移られたような感じになって書いた。猿だったのかどうかはわからないけど、私が書いたものではないと思った。また、今でもこの終わり方に満足している。
この物語の士気は、みんなコミュニケーションのし方が違うということ。私は「普通」ではないコミュニケーションがうまいようだ。でも、それもコミュニケーションだ。
だからブログを取りあえず始めるように思ってし始めた理由が分かった。アニマルコミュニケーションでもヒーリングでも物語を書くことによって私は愛情を一番よく広めることができるようだ。
Leave a Reply