また4th of Julyが近づいてきましたね。今日は花火に恐怖を感じている動物たちに自分でできる簡単なアニマルコミュニケーションをお伝えします。 まず始める前に次の準備をお願いします。信じる心、大きな想像力、自分、動物たち、そして人々への理解と愛情。これがあれば自分で簡単にコミュニケーションをすることができます。 それとこの会話をする場合は、花火が始まる前にやっておいた方が効果的です。恐怖感を感じてしまったら、何も耳にできないようになってしまいます。 まず説明する 想像してください。あなたのお家に外国から子供が訪れました。花火を見たことがない子供です。何も説明ないまま4日になり、いきなり「ドーン」という音がして、何なのかわからずに怖がっています。自分の動物がその子と思いながら、頭の中でもいいし、言葉に出してもでもいいから説明してあげてください。花火とは何なのか、どうして4日に花火をあげるのか、遠くから見ている花火とは危険なのか?等々。 動物たちに伝わっていると信じながら話してください。初めのうちは途中で「こんなのバカバカしい」と思うかも知れないけど、伝わっていると信じて最後までやってみてくださいね。 もし自分の心の中で花火が嫌いだとか、花火をしている人達は悪者だとかそういう気持ちがある場合は、話をする前にどうしてそう思うのか自分の心を整理してからお話ししてください。例えば、「花火はきれいだよ」と言いながら心の中で「私は花火が嫌い」と思っていたら心の中で言っている言葉が伝わるので動物も花火が嫌いになります。 絶対守ってほしいルール ここで絶対してはいけない事は、否定語を使う事。動物は否定語を理解できません。だから「Don’t be afraid」というと、「Be afraid」になってしまうし、「危険じゃないからね」というと「危険だからね」と理解されてしまいます。それがなんでないのかを説明するのではなく、それがなんであるのかを説明してください。例えば「音は大きいけど遠くの方だから火花は向こうの方で落ちるから安全だよ」とか。 いつ終わるのか? またさらに効果的なのは時間帯を教えてあげること。これは今晩だけだよとか。でもこれに注意してほしいのはもし花火が今晩だけで終わると絶対確信できない時には約束はしないように。動物は約束を破ると信じてくれなくなりますので。わからない時は、わからないと正直に説明して、でもこれは短期的であって永久的ではないことを説明してあげましょう。 安全なエネルギースペースを作ってあげる ここで簡単に安全スペースの作り方もお伝えします。花火が怖い動物たちは、花火が怖いだけでなく、花火をしながら普段しないような行動を起こす人間たちの異常なエネルギーに反応している可能性があります。だからそのエネルギーに影響されないように、安全スペースを作ってあげましょう。 花火が始まった時にいるだろう場所、例えばベットの下とか、ソファーの周りにピンク色の風船のような物ができていることを想像してください。その風船の中には愛情がいっぱい詰まっています。その中にいるとお母さんのお腹の中にいるみたいにとっても安全な気持ちになります。その風船を動物の体の周り、ご家族みんな体の周り、もしそこまで想像できるようでしたら家の周りにも作ってあげてください。そしてその風船は必要な限り守ってくれ、必要がなくなったら自然と消えると想像してください。花火がなっている間ずっと考える必要はありませんし、花火で壊れることは絶対ありません。 行動を観察する もし飼い主さんがこの方法で愛情のある会話ができたとすると、おそらく動物たちの恐怖感が以前よりも緩和されるはずです。もし緩和されないのでしたら、会話中に言っていたことと思っていたことにギャップがあったか、もしかしたら何年間も恐怖感で過ごしてきたのでもう癖になってしまっているのかも知れません。こういう場合はご自分でされても効果があんまりないかも知れません。でも、本当に詳しく観察すると恐怖感の中にも以前とは違う行動が絶対見えると思います。それは少しでもコミュニケーションができたからですよ。 ここまで読んでくれて動物達一同感謝します
全般
脆弱になれ
オリジナルの英語のページはこちら 私は周りで起こっていることに対応するレッスンを毎週受け取っているような気がする。ここまでどれだけ成長したかを思い出させられるが、まだまだこの旅は長いということも思い知らされる。 今週のレッスンは脆弱になるということ。このメッセージを猫から猫の飼い主のために受け取ったということに驚きはない。このメッセージは飼い主と私の両方に向けて送られたものだ、それは動物が魂に向かってメッセージを送っているから。みんな「一つ」なんだからメッセージはみんなに対して該当する。こういうメッセージを受け取ったときは本当に愛から来ているメッセージだなと思う。 動物は本当に天使だ 私がアニマルコミュニケーションをする時は、天からの力で動物と私がつなげられる、例えばアニマルコミュニケーションのクラスの動物だったり、その辺で出会った動物であったり、何か助けを求めている飼い主が私を偶然見つけてくれたり。どのようにコミュニケーションが始まったとしても、どのコミュニケーションも大抵私と飼い主の会話から始まる。愛情のある結果につながるために、正しい質問ができるように、本当に愛情を持って、少し興味も持って動物と波動を同調してからコミュニケーションを始める。結果は動物とその飼い主のヒーリングにつながるかも知れないし、問題点を理解しあえる結果になるかもしれないし、愛情を持って愛している相手にさよならを言う結果になるかもしれない。 私は動物は本当は変装した天使だと思う。動物、その飼い主と私が同じ調和のとれた波動で共鳴した時、魔法が起こる。これは動物が私を見つけ出してくれたからだ。 誰かが気になるときは自分を見つめてみて 今週、会社で、スピリチュアル関係で、そして個人的な人生上で、私は本当に自分の事を愛していないとわかる出来事が色々とあった。このブログで話したけれど、初めを振り返ると私は自分をかなり愛することができるようになっている。しかし、今週まだまだ愛していない部分があることを知らされた。 たぶん人生の中で、誰かあんまり好きでないかしっくりこない人がいると思う。もしかしたらあなたを不快で防御的にする誰かがいるかも知れない。こういうことがあった場合、私は自分自身の中を見直すメッセージだと受け止めている。もちろん私は人間だから、「私が正しい、彼らは理解が足りない」と思うことはよくあることだ。でも本当にそうだろうか? これは私はまだ自分で勉強中なので、言うことは正しいかも知れないけど、私自身ができているとは言えません。あしからず。 今週宇宙からとってもいいメッセージをいただいた。上に書いた猫との会話中にもらったのが一つ。彼女は彼女の飼い主(と私)に「心を開いて脆弱になれ」と言った。 もう一つのメッセージは私の同僚が上の会話と同じ日にグループに共有した Ted Talk からだった。このスピーチの中で、スピーカーBrené Brownはもちろん脆弱になることを話している。 どんなことがあっても自分を愛せ 子供のころから今まで、脆弱になるということは私の単語にはなかった。それは負けを認めること、自分が完璧でないことを認めること、等々。これは私の両親や社会が教えた「なってはいけない自分」だ。でも自分の心を開かないせいで、自分の周りに壁を作っている。この壁は本当はあんまり好きでないとかしっくりしない人と会った時、自分を移している鏡だ。この鏡には「完璧でない自分」を映し出している。あなたが防御的になる理由がこの不完璧の自分を認められないからだ。 もし本当に本当の自分を愛することができ、本当に「完璧」な自分はない事を認めることができたら、「悪い」ことがないからあんまり好きでないとかしっくりしない人たちが映る回数が少なくなってくるだろう。 私が会社で働き始めた時、上司がよく「分厚い皮膚を作れ」と言った。なぜなら私は人が言うことすべてに対して反応していたから。でも私はどうしたらいいのかわからなかった。今になってそれをするには自分を愛することが必要だとわかった。まだ気にはなるけれど、前ほどの頻度ではなく、起こったときはその影響は以前ほど厳しくない。 決まり文句みたいに聞こえるけど、愛はすべてを治癒する。
怒ったハラペーニョ
オリジナルの英語のページはこちら 木や植物とも会話ができることが分かってから、今まで起こっていたことが理解できるようになった。 園芸の才なのか尊敬していないのか? 家に植物を持って帰ると可哀そうだと思う。なぜならほおっておいても生きているような植物でないと、すぐに枯らしてしまうから。水をやりすぎたり、やりなさすぎたり、私は園芸の才がないのだと思っていた。 植物と会話ができるようになってからは、説明書とおりに水をやるのではなくって、植物が水を欲しがっているときにあげることにしてみたら、結果は全く違う。 去年ラベンダーを植えたけど、水をあげるのが不規則だったりで、すぐに枯らしてしまった。水をやりすぎた後、しばらくやらなかったり。地面に植え直してあげたけど、もう遅すぎた。今年は、またラベンダーを植えたのだが、下に穴が開いていない鉢に植えたから水をやりすぎるのが心配だった。そのため水をやる前に本当に必要なのか観察してからやった。このラベンダーはまだ生きていて、たまにいい匂いがしている。 2年前、オレンジの木も植えた。今年は2回目の冬。私の夫と私は1年と持たないうちに枯れると確信していた、が、まだ生きているし頑張って育っている。先日肥料が必要だと感じたので、オレンジに何がいいか聞いてみた。すると、2-3年前に園芸展示会でもらった自然の肥料 (日本製) がいいと言った。私はそんな肥料をまだ持っていたことすっかりと忘れていた。今日それをやってみた。どうなることでしょうか? 結局私は昔は植物を尊敬していなかったから、十分に注意して世話をしていなかっただけ。植物さん、ごめんなさい! ハラペーニョは怒ってた? ある日、調理していた食べ物の材料にみじん切りにしたハラペーニョが必要だった。だから、きれいにみじん切りにした。その後指がすごく痛くって何も考えられなくなった。何回も手を洗ったけど、その後顔を触ったら顔も痛くなった。どうしたらいいかわからなかった。もしやハラペーニョがきざまれたことに怒っているように感じた。 だから、ハラペーニョに謝ることにした。刻むとき尊敬なしにきざんでごめんなさいと。そして、私の体に栄養を与えてくれてありがとうと感謝した。どうか許してください、私の事をこれ以上痛くしないでくださいとお願いした。もし私のお腹が指みたいに痛くなったらそれは困ったもんだ。食べずに捨てようかとも考えたけど、それはこれ以上に軽蔑になってしまう。だから静かに平和に食べられるようにお願いした。 ハラペーニョとこの会話をしたすぐ後に、指の痛みはすっかりとおさまった。食べた時もお腹が痛くならなくっておいしくいただいた。 昨日、レストランで夫の料理についてきた焼いたハラペーニョを食べていたら、すごく辛かった。大抵私は辛い物は得意だけど、これはとっても辛かった。その後、唇に火が付いたみたいに痛くって自分の料理が食べられなくなった。 以前のハラペーニョとの会話を思い出し、食べるのをやめてまた尊敬なしに食べてごめんなさいとあやまった。私の体に栄養を与えるために自分をささげてくれてありがとうと感謝した。 この後すぐに痛みはなくなって夕食を食べることができた。 ハラペーニョは怒っていたのか?もしハラペーニョは怒っていたんだったら、他の植物はどうなんだろう?これは考えの種だ。
みんな正しい
オリジナルの英語のページはこちら 自分が経営する店で、怪しい行動をしている男性がいると従業員から知らされて、心配して警察を呼んだ男性がローカル ニュースで取り上げられている。怪しい行動を起こしていた男性が黒人だったからだ。そのため差別行動だとすごくホットな話題になっている。私はこういう活動には参加しない。なぜなら両方の話を聞いていないからだ。片方の話を聞いただけで、どうしてその男性の人生を変えてしまうような活動に参加できるだろうか…。 何かの論争がある時、私は「両方とも正しい」と言ってからどうして対立が起こっているのか原因を見つけようとする。テレビで見るこういった話は大体一方的な意見なので、どちらにも同意することはできない。もし本当に気にかかっている場合は時間をかけて両方の意見を聞こうとするだろうけど、そこまで気にかからない。これはとっても正直に言う。私ができるレベルの物ではないと思うので、私ができるレベルの物にチャレンジする。それはアニマルコミュニケーションだ。 動物と会話をするときには「みなが正しい」から始める 動物の飼い主さんがアニマルコミュニケーションに来るときは、動物がこんなことをしていてやめてほしい、とか極端な話、動物が死にそうなんだけど、助けてほしいとか、が大半だと思います。と言うよりも、私がそのような内容でアニマルコミュニケーションに行ったという話もありますが…。 でもこれは一方的な話だと思う。これは飼い主側の話。私が動物とコミュニケーションするときは、両方の話を聞いてから、両方が同意できる結果につなげたいと思う。 私はアニマルコミュニケーションのプロではないです。まだ始めて数年しかたっていない。でも、私は上に書いたような気持ちで一生ずっと生きてきたつもり。私の友達が問題を持って相談に来たら、私は何も言わず友達の話を聞いてあげる、友達は私が何も言わなくっても自分で答えを見つけ出すことが多々ある。言い方を変えると、私は昔から人の話を聞くのが得意。私は最近までアニマルコミュニケーションしてなかったから、この方法を他の動物に利用することがなかっただけで、この方法は今まで人間とやっていた方法を再利用しただけ。 でも、私は完ぺきでは全くありません。私の意見があまりにも強いとき (よくある)、自分自身のアドバイスに反して「私は正しい」と思い始める。でも大抵良い結果は出ないけど。 聞きたいことを聞く このブログで「私が正しい」と言っているのではない。私の意見を述べているだけ。でも、このメッセージの受け取り方には2種類あると思う。一つは、これが正しいと思って読む、もう一つは正しくないと思って読む。ここで、「正しい」と言うところを「これは愛からのメッセージ」だと置き換えることができると思う。 もし、物事に挑むとき「正しくない」と思って挑んだ場合、正しくなくなる結果が出ると思う。なぜなら正しくないという答えしか聴き耳がないからだ。初めから正しくないと思うと、何を聞いても正しくないと思える理由がいくつでも見つかる。そして、その状態でコミュニケーションすると、「正しくないところを正しくする」ためのコミュニケーションになってしまう。しかし、「これは正しい」と思って挑むと、あなたの「真実」と比べて、共通点があれば嬉しいし、別の意見があればそれはどうしてだろうと思ってその理由を見つけ出したく思うだろう。そして、もしこれが愛からのメッセージと思うなら、心を開いて受け取ることができるだろう。 何も間違いではない、すべては課題だ、レッテルを張るのは課題に取り掛かるのを避けている 真実を聞くと、心が痛むことがたまにある。私は、与えられた素晴らしい課題に喜んで挑みたくないとき、レッテルを張ると思う。先ほどの話に戻る。「これは差別だ」と一言で言ってしまうことはどんなに簡単だろう。なぜならその場で自分が取らないといけない責任を避けることができるから。その先言うこともやることも、何にも自分で責任を取る必要がないから。 もしレッテルを張らない場合、意見を持つために色々と問題探求しないといけない。もしかしたら、両者ともあんまりよい日でなくて、不機嫌だっただけかも知れない。もしかしたら本当に差別だったのかも知れない。もしかして、もしかして。 自分の中を見つめて、答えはそこにある 敵対心を感じるとき、誰かと口論している自分がある時、そういう時は自分の中を見つめてみて。大抵自分の恐怖や、無解決の問題の明示だから。最近は何か気になることがあったらその点について瞑想するようになった。瞑想中に、大抵その人が、私が嫌いな性格を持つ人で、その性格が私にもあるからだったり、私が自分の嫌いなところを思い出させるような人だったり、その出来事が昔の無解決な口論や問題の記憶を思い出させるものだったり。 その問題が何であれ、アニマルコミュニケーションをするときは、それは家に置いておいて。メッセージに心を開いて、宇宙からもらうメッセージを興味深く受け取って。そして、もし自分に必要な課題を発見した時 (それは絶対ある)、家に帰ってその課題に取り組んで。そしてそれを繰り返す。
あなたはなんでもできる
オリジナルの英語のページはこちら このブログは2か月前ほどに書き始めたが、話の終わり方がわからなかったから書き終えることができずにいた。今はこのブログをポストするのに十分だと思えるようになった、何故なら自分でこれをすることができるようになってきたから…。完全ではないけれどね。 私はなんでもできる あなたはなんでもできるし、成し遂げることができる。これはなんでもだ。 私の人生の転機となったのは、「私はなんでもできる」と思うところから始めると、その後続く質問は次だけ: それをするために必要などんな能力が必要か? 「できる」状態が100%とする。今それができないのはまだ100%になっていないからだ。そうすると、できるようになるためにそのギャップを埋めればいいだけ。あ、それと、100%でなくても、し始めることは可能だ。100%できなければ始められないと思うのはあなたのエゴの言い訳。 何か挑戦に課されたとき、2つの文章しかないと思う: できる/なれるように勉強中 できる/なれるようになろうとしていない それだけ。できないことは何もない。できないのはそのように選択しただけ。 もちろん不可能だと思う挑戦もある。これができるようになった時のしっかりとした意図を設定することがとっても大切である。 例えば、先日夫と、盲目の人は工事現場で働くことはできるだろうか、という話をしていた。私の夫は、安全でないから絶対できないと言った。私はできると言った。夫ができないと言ったのは、工事現場のど真ん中で働いている状態を想像しての事だ。私は例えばロボットを使って目の見える人の横で働いている状態を想像してみた。夫のように本当に身体的に工事現場で働くことだって無理ではないと思う。きっととっても長く大変な挑戦だと思う。もしかしたらこの人の一生ではだめかもしれない。でも、もしそれが本当に必要だったら可能だと思う。ここでの質問は、本当に必要なのだろうかということ。 私は盲目の人たちや身体に障害を持っている人たちをすごく尊敬している。あなたたちの魂は地球に生まれ変わって来たとき本当に挑戦的な人生を選んだのだから(輪廻についてのブログを参照)。だからこのブログは軽く考えて書いていない。 以下の言葉を使っているときは、なれるようになろうとしていない 欲しい・願う 欲しいと願うという単語は使わない方がいいと思う。なぜならこれらの言葉は能力のギャップを埋めるための行動を起こさせない。もし本当に行動を起こしていたらこれらの言葉はあんまり出てこないはずだ。またこれらの言葉を避けたいわけが、これらの言葉を使うと宇宙がもっと「欲しい」とか「願う」と思う理由を与えてくれるから、もっと欲しくなったりもっと願いたくなる。 代わりに、「私は~だ。」と言うほうがいい。もしそこまで断言しにくいと思う場合は、「私は~をするように学習中だ。」とか「私は~になる方向に向かっている。」とか言うといい。このように他の言い方を伝えているわけは、もし本当に100%信じて言わなければ、宇宙は言うことを聞いてくれないし、やっぱりできないと信じてしまうような結果を与えられることだろう。だから、誤って主張するのではなく、最終の目的に向かっている言葉を使う方がいいと私は思う。 「できない」の代わりに「やらない」 挑戦に直面した時、「難しい」とか、「できない」言うと思う。でも、先に言った通り、できないことは何もないのだから、それらの言葉も使わないように心がけよう。 「やらない」という言葉はおまじないみたい。もし「やらない」と言うと、その次に続く言葉は「なぜなら」で、その理由はあなたが、あなたの意志で、あなただけがやらないと決めたからだ。だから、あなたがどうしてやらないのかという理由がわかる。その反面「できない」の後の「なぜなら」は言い訳だけが続く。 こうすることによって「もう少し時間があったらする」から「これは今時間を割いてするほど重要でない」という考え方に変わる。 私は昔「時間がないからできない」と言い訳をよくしていた。皆さんもそうでは?でも、本当に目が回るほど忙しい時でも、本当にやりたいことは時間を割いてやっていたことに気が付いた。時間は作るもの。もし時間がなくってできないんだったら、それほどやりたいと思っていないだけ。それだけのこと…。本当に正直に自分を見つめてみて。これがわかったら真実は冷厳だ。心の準備をしてからやってみよう。
知恵と知識
オリジナルの英語のページはこちら 今朝猫とのコミュニケーションで、知恵と知識の違いを教わった。 知恵は経験や学習から長年かかって取得するものだ。スピリチュアルの輪廻の世界では、過去の人生で学んだ知恵を持って生まれ変わってきたかも知れない。それに反して、知識は一生のうちに取得する。もうすでに何百回も輪廻しているからたくさんの知恵を持っているかも知れないが、生まれ変わったときにはこの人生で学んだ知識はすべて忘れるから、次の人生でもう一度学び直さなければいけない。このため輪廻は楽しい(今日は宇宙はちょっと冗談を言いたかったみたい、これは宇宙からのメッセージ)。 アニマルコミュニケーションをしていると、とても知恵があるけど子供みたいな動物とよく対話する。これは多分過去の人生でいっぱい知恵を持っているけど、この人生からの知識が少ないのだろうと思う。もしかしたら猫として初めて生まれ変わったから、猫としての生き方を理解していないのかも知れない。もしかしたらこの経験は初めてで、怖いのか興味深いのかも知れない。アインシュタインの魂が今日生まれ変わったと想像してみて。彼はとっても賢くって賢明だけど、携帯電話が音をだしたらびっくりするし、とっても興味深いだろうと思う。タクシーをこんな小さな箱から呼べるなんてとっても考え深いだろう。そういう態度をするアインシュタインを別に賢くなかったり、知識がないとは思わないだろう。彼はこの状態を知らなくって、その知識がないだけだ。 もし知恵を持って生まれ変わって来るんだったら、どうして悪い癖がつくのだろうか?残念ながら、生まれ変わったとき全くクリーンな状態で生まれ変わるわけではない。過去の人生から癖を持ってきてしまったのかも知れないし(例えば過去の人生で海が怖かったとか)、何か常習的に起こった出来事が「知恵」として蓄積されてしまったのかも知れない(赤色の服を着ている人の近くに行くと毎回病気になってしまったので、赤色は悪い)。 どのような理由であれ、スピリチュアルの存在の知恵を過小評価しないように。子犬から教育されることもある。こんなことがあるからアニマルコミュニケーションはとっても楽しいのだ。